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ケモノ道

#22 "日本カルチャーの台風の目だった" 放送作家・景山民夫

このポッドキャストを聞いて久しぶりに景山民夫のこと、そして中学時代を思い出した。

当時の東海地方のラジオやTV番組は割りと尖っていたと思う
ラジオでもTVでもメインストリームには出ない演者や企画が沢山あった

東海ラジオでシオンの新宿の片隅からが
東海TVでは毎週土曜の夜中にWON’T BE LONG前のバブルガムブラザーズが司会で
ゲストを招く「音もダチだぜ!気分はセッション」
中京テレビでは夕方に大竹まことといんぐりもんぐりの「5時SATマガジン」
夜中にはみうらじゅんが出ていた「ラジオdeゴメン」などなどよく見ていた

大竹まことがヒルビリーバップスのボーカルが亡くなられた後の5時SATマガジンで泣きながらこんなバカな事を絶対するなよと訴えた回など、破天荒のイメージがあった大竹まことのイメージが僕の中で大きく変わった。 

影山民夫もそんな1人だ。
古くは「俺たちひょうきん族」や、中京テレビの「大人気セミナー」で、知ってた人だ。
ある時期から宗教にハマり、テレビからも消え本の中だけの人になった。

そんな景山民夫が書いた当時読んでた宝島の連載を30年以上経った今でも覚えてる

「娘が死んだ。俺の娘だ。長女だった。十八年間、生まれたときからずっと、べッドから自分の力で起き上がることも出来ずにいて、それで一昨日死んじまった。(略)すくなくとも自分の足で歩けて、自分のロでしゃべれて、自分の手を使って飯が食えることを幸せだと思ってほしい。頼むから思ってくれ」 

人生はケモノ道だ。
決して平坦では無い


ニールヤングが言う様に
「道の真ん中にいるより、溝に向かっていくほうがいい」
敢えて溝に向かう道を選びたい。
溝に向かう事でしか出会えない事があると信じてるし、そして何より楽しいからだ。

当時の深夜番組や雑誌のコンテンツはそんな感じだった。まだ何ものでも無い多感な時に、「こんな物もあるんだよ」「これで良いんだよ」と言われてる気がした。

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この記事を書いた人

「でも、やるんだよ」と根本敬イズムを仕事にも持ち込むサブカルおじさん
昨今のコンプライアンス対応で自分自身をアップデート中
Webメディア「INGSTE」にて「どうする!どうする!世の中どうするばっかりだ!」と高野拳磁イズムでお伝えする不定期連載コラムを連載中。

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